親世代の子供時代って?兄弟の人数が何処も多くて当たり前だった!

最近は子供の数がどんどん減っていくことが当たり前のように耳にすることが多くなりましたが、私の親世代、もっとさかのぼると祖父母世代は兄弟の数は多かったものです。

特に祖父母世代は明治時代、大正時代、昭和時代の初期でしたので、人世帯の家族の人数は何処でも10人以上と言うのは、珍しくはありませんでした。

年令差も一番上と末っ子は親子差年齢程あったくらいです。ですから大きい兄や姉は小さい弟や妹の面倒を両親に変わってみていた、とも聞かされています。現代の様に物に溢れたわけではありませんでしたから、赤ちゃんのいる家庭など、布おむつの洗濯なども大きい兄や姉がしていた光景もよく見られたそうです。

ですから子供同士で協力し合って、両親の手助けなどもしていたわけです。その祖父母の間に生まれた私の父や母世代も兄弟は多かったですね。まず少なくても5人は子供を産んでいたわけです。

親世代でも父方は6人、母方は4人でした。ですが私の母方の兄弟は2人幼いころに病死したり、死産だったと聞かされました。

私の両親の子供時代は、太平洋戦争(第二次世界大戦)の真っただ中でした。父は家族と離れて田舎へ疎開し、母は家族と共に毎日落ちてくるアメリカ飛行艇B29の爆弾に怯えつつも、生きるか死ぬかの人生をおくっていました。

戦争中のそんな恐ろしい時代の中でも、兄弟が多かったお蔭で、家族全員助け合って何とか生き延びる知恵を考えていたのです。そんな祖父母たちは戦争でどんどん家や農作物を燃やされていく中でも、子供達を飢え死にさせてはいけないと、食べられるものは何でも取って応急処置として食べさせていたんですね。

それでも栄養失調で子供を亡くしてしまった家庭も多く、いかに戦争が恐ろしくて簡単に人間の命を奪っていく有様を目にしていた祖父母やまだ小さかった私の父や母はどんな思いをしていたかと思うと胸が押しつぶされそうです。

それでも親世代は兄弟が多かったお蔭で、お互い助け合う気持ちや絆は強かったといえます。小さい弟や妹の面倒を見ることは、本当に当時としては当たり前だったんですね。祖父母からしてみれば、沢山の子供達が手助けをしてくれてどんなに心強かったでしょう。

どんなに貧しくても、何処の家庭でも子供の人数は5人以上が当たり前だったとは本当に今の時代では考えれらないくらいです。

子供だった私の父や母は、戦争の最中いつもお腹をすかせていました。小学生で食べ盛りでしたから、満腹感を感じたことなどなかったと聞かされています。それでも一生懸命子育てしていた祖父母は自分たちは食べられなくてもいいから、せめて子供達だけでも十分食べさせて行けるようにと、配給された食べ物を子供達に回していました。

どんなに辛くても、子供たちにはひもじい思いをさせたくない…それが祖父母の思いであり、凄く苦労してきたことがありありと分かりました。

昭和20年(1945年)8月15日、日本は戦争に負けて何もかも無くしてしまいましたが、家族、兄弟の絆は失われることはありませんでした。それは子供の数が多かったからこそ言えることです。