ますます深刻な少子高齢化。私達はどう生きるべきか

私が結婚して2児の母になった時!すでに少子化と世間で言われてた

バブルが崩壊したのは、平成3年(1991年)~平成4年(1992年)にかけてのことでした。今まで私はパートで働いてきましたが、バブル崩壊後は、人員削減のため今まで勤めてきた会社をリストラされてしまいました。

その後は仕事を探してもなかなか見つからず、仕方なく私は専業主婦となりました。すでに結婚して3年の月日が流れていました。結婚したばかりの時はあんなに日本中が好景気に包まれていたのに、わずか3年の間で不況になってしまうとは、何と言う極端な変わりようだったか、今でもはっきり覚えています。

仕事が見つからないなら、そろそろ子供を産んでもいいかな?それが潮時かな?と考えました。そして平成5年(1993年)、長男が誕生しました。長男が誕生したこの夏は異常な冷夏で、梅雨明け宣言もないまま夏が終わり、国産の米は日照不足により、不作に終わりました。

翌年平成6年(1994年)は米の不作により、「ブレンド米」騒動がありました。長男誕生時は農作物の不作や、景気は冷ややかな状態が続き、何だか先行き暗いような話題が多かったです。

そんな中、私が長男を出産し、母親となった時にすでに「少子化」と言った言葉が日常的に多く聞かれるようになりました。長男が生まれた平成5年(1993年)の出生率は、1.46%で、平成元年(1989年)の1.54%を更に下回ったのです。いかに平成に入ってからどんどん子供の数が減っていると実感したのは、やはり私自身長男を産んだ後でした。

その3年後の平成8年(1996年)には長女が誕生しました。この年の出生率は1.43%でしたから、本当に少子化が進行し、深刻な問題になってきました。

日常生活でも本当に少子化が進んできたことは沢山実感しました。長男の場合、近所に遊び相手になるような子供が1人もいなかったことです。私の子供の頃の様に、近所に幼馴染と言えるような子供が遊んでいませんでした。

長女にしてもそうです。やはり近所に同級生はいませんでした。幸い娘の場合は、1つ年下の女の子の遊び相手がいて、その子が唯一の幼馴染です。

私の2人の子供達が幼稚園に入園して、やっと同じ年の友達が出来たのです。やはり当時から子供って本当に減ってきて、いないんだな~と感じておりました。

やはり私の家庭の経済事情を考えますと、とても3人目も産みたい気にはなれませんでした。私の子供達が小さいころからもう1人っ子家庭が増えてきて、やはり経済事情からそんなに子供を産めないと意見する人達が多かったです。

バブル崩壊して、この不景気な世の中…リストラされたり、収入が減ったりするなどまさしくこのような状態ではとても子供を産める状態ではないと言った理由から、夫婦2人だけの世帯も増えてきました。

それに少子化が進んできたので、同じような小さい子供のいる家庭が少なくて孤立する母親も増えてきたのも、この時期からです。社会から取り残されたようなあの何とも言いようのない疎外感。私でもやりきれませんでした。

世の中こういう例が多くなってきたものですから、少子化と言われても仕方がなかったと言えます。