第2次ベビーブーム!この時代の両親は団塊の世代の人たちなの?

戦後の第1次ベビーブームで出生率がぐ~んと上がり、日本の経済成長はどんどん発展していきました。ですが第1次ベビーブームの後は出生率は下がっていきましたが、昭和40年代後半にはまた出生率が上昇し始めました。

それが第2次ベビーブームと言われました。第2次ベビーブームの世代は昭和45年(1971年)~昭和49年(1974年)生まれの人達です。まさしく現代では働き盛りの年代です。

ところで第2次ベビーブームの人達の両親はどんな年代か、アナタは分かりますか?実は第2次ベビーブームを引き起こした年代はあの戦後直後に生まれた第1次ベビーブームの「団塊の世代」の人達です。

昭和40年代後半、団塊の世代の人たちは成人して結婚適齢期を迎えたわけです。ですから団塊の世代は戦後一番人口の多い年代でもあるので、その人達が結婚し、子供を設けたことにより、第2次ベビーブーム旋風が巻き起こったのです。

ですから団塊の世代の両親を持った子供達は「団塊ジュニア」と呼ばれています。戦後初の世代が今度は親になる年齢になってきたわけです。戦後生まれが子供を産むようになったのが団塊の世代が初になります。

団塊の世代が一番人口が多ければ、それだけ子供の人数も増えたんですから第2次ベビーブームと呼ばれたんですね!当時私は小学生でしたので、第2次ベビーブームとかって余り気にはしてないと言いますか、理解出来ていませんでした。

そういうことでは団塊の世代の人達は第2次ベビーブームを引き起こしたことにより、昭和40年代後半当時は世の中に貢献したってことがありありと分かります。

あの頃は本当に子供の数が多くて、学校の教室が足りないくらいでした。1クラス40人で、男子、女子共に20人ずつの公平な体制でした。

それに小学校時代、地区ごとに通う所は決まってましたが、1ヶ所に受け入れる小学校が子供の人数が余りにも多すぎて分校になってしまう事態も起こりました。今考えるとその団塊ジュニアと呼ばれる子供達が圧倒的に多かったから分校されたのかもしれません。

児童の入れる教室が1つの小学校ではもう満員で対処しきれなくなったからです。分校された後、丁度児童の人数の割り振りは上手くいくようになりました。当時の先生も大変な思いをしましたね。

特に私の住んでいた地域の子供会は子供の数が多いがために、子供会まで2つに分ける羽目になってしまった覚えがあります。分けた後は西子供会、東子供会と名前まで付けられました。

子供会の役員をやっていた人達がそう決めたのです。1つでは子供会の役員は足りませんし、子供の数が多すぎて面倒見られないと言った理由からでした。

昔は結婚は20代前半までにするのが当たり前で、母親も早く子供を産んでいました。結婚=子供は日本人として当たり前の風習だったのです。

その団塊ジュニアと呼ばれる人達も、現代では働きさがりの大人になりました。結婚して子供を設けて親の団塊世代もおじいちゃん、おばあちゃんになりました。

本当に時の流れは早いものです。